一般的に伊太利屋 紫電77/BMWについて書かれている記事は沢山ありますが、翌年デビューした紫電改RE-78に関して書かれた記事は本当に少ないと思います。 基本的に紫電改は紫電77が進化したクルマとして語られておりますし、形容詞には必ず『モディファイが進めば進むほどカッコ悪くなった』と書かれております。しかし私は知っています。カラーリングは別として、最後の紫電改は、結局最初の紫電にほぼ戻っていた事を。 そこで今回は紫電改にスポットライトを当てて、その進化と如何にして終了したかを纏めていきますが、まず最初に1978年の富士グラチャン(GC)シリーズと富士ロングディスタンス(LD)シリーズの日程を纏めました。実は紫電改の変化を語るに、このレースカレンダーが意外な伏線として重要な要素を持っているのです。 78 富士グランチャンピオンシリーズ 【全5戦】 第一戦 3/26 富士300キロスピードレース 第二戦 6/3 富士グラン250キロレース 第三戦 9/2 富士インター200マイルレース 第四戦 10/8 富士マスターズ250キロレース 最終戦 11/26 富士ビクトリー200キロレース* 78 富士ロングディスタンスシリーズ 【全三戦】 第一戦 4/…
前回までのお話し。 『マカオの経済はカジノで廻っている』 と、言っている人はマカオの本当の事を知らない。 真のマカオの姿は〝建設・建築〟で廻っている。 カジノ(IR)はその一つのコンテンツでしか無い。 ここが見えないと、どんな事であれ、この地域の本質は見抜けない。 また大阪はここを見誤っている。 昨年のマカオGPの開催理由は 『今からだとキャンセル出来ない』 だった。 では今年は? 『今年やらないと来年の予算が取れない』 『嘘をつくんならもう少し上手につけ』 マカオ市民は呆れた。 つまりマカオ市民も前年の様子を見て 『まずいメシを食うくらいなら一食くらい抜いて、次に良いのを食べれば良い』 と言う意見が非常に多かった。 しかし建設業界に忖度している為、中止に出来ない。あのコースの設置や保守管理、解体で数十億円が動くプロジェクトになっているからだ。 以前のマカオGPは旅遊局が主体だった。それが2016年から体育局が入ってきた。その前年のマカオGPは両局が入り込み、とんでも無い事になった。グランプリ期間中に争いが発生し、ピット内のwi-fiが突然切られたり、各チームが自社のSNSに投稿した情報を『消せ』と言ってきたりと、参加者はナニがナンだか分からない…
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