昨日から続いているBF3問題は現在、継続作業中。 さっき主催者から連絡が来て『あーして、こーしたらどうか?』とソリューションを提案してきた。しかしどの道、今日中に解決しないと時間切れになってしまう。 さて並行してヨーロッパの某国のレースのこれまた某メーカーからアジアの代理店になら無いか?と持ちかけられている。製品のパフォーマンスはまぁまぁだが、そのカテゴリーには様々なメーカーが、乱立しているので、おいそれと手を出せない。 アジア地域では失敗しているらしく、販売数も伸びていない。しかし彼らの母国の選手権を見るとキチンと表彰台に乗っている。日本のパートナーにも聞いたが、良い返事では無かった。最も彼は職人だから、その返事も想定内。 そうなると具体的にそのものを体験しないと判断はつかない。そこでメリにテストさせてくれ無いか?と頼んだ。今すぐOKか?イマイチか?では無く、よほど酷い商品で無い限り、商品ってやっぱり扱いながら育てていくものだから、その素性が良いか悪いかの判断はつくと思う。 代理圏がマカオ・香港・シンガポール・タイ・マレーシア・ブルネイ・台湾・中国なので、よほど詰めていかないと成立しないと見てる。もう一つ、GTカー案件も来ているので、それと重なら無いように取りまとめたい…
課題はドライバーのお金が遅れた事。もう一点はウチのメインスポンサーとして約束していた会社が先週の金曜日、『今年に関してはモータースポーツを含め一切のプロモーションを止めます』と言ってきた事のWパンチ。 ヒルのリチャードは『1イベントパスしてRd.2からにしよう』と、言い出し、大方は賛成。反対は自分だけ。なぜなら決まっているスポンサーの他の二社が〝全戦参加〟の契約だからだ。 皆は軽く『1/8をカットすれば良い話しだろ?』と言うが、そうでは無い。下手したら契約そのものが飛ぶ。そこで『1イベント(開幕戦)だけ、主催者のテストカーを借りてノーブランドチームで出ないか?』と提案した。 何故ならBF3はドライバーズチャンピオンシップは懸かっていてもチームタイトルは無い。だから極論言うとドライバーが他のチームで稼いだポイントも無駄にはならない事を確認していた。むざむざ1ラウンド/3レースの得点権利を失うのは余りにも惜しいと考えた。 しかし他のスタッフは『チームタイトルもある』と、誤認識をした上で『No』。理由は『クルマが空いてない』だった。 お前ら、どこの国に住んでんだ?ミーティングは散会し、マネージャーはドライバー親子のもとへ。自分にはモヤモヤ感だけが残った。〝大口スポンサーを失っ…
KARTの代理店の件、マカオは自分たちでやる事にしたのでさっそくガレージを探した。もっとも手取り早いのはサーキットにガレージを設置する事なので、政府の体育局へ電話。予想通りASNであるAAMCへまわされた。 結論から言うと、民間には一切の貸し出しができないと言う。TONYカートの代理店も街中の一般の工業ビルの中でやっているとの事。 サーキットは金曜日の夕方と土曜日のスポーツ走行のみ。「ナニ?この変則的なスケジュール?」と、聞くと、『マカオの特殊事情がある』、と。 マカオの場合、全てが実業団の様な構成の為、普段は全て公務員か会社員。週末と夜に専門分野になると言う。 その為に週末の夕方から専門のジャンルに分かれての活動となり、これはサッカーだろうがなんだろうが、この形態である、と。 KART場なんか世界屈指の設備だろうし、GPコースだって国際グレード2。しかしいつまでもこんなやり方していたら中身が育たない。型式張るのも良いが、選手を育成するシステムや環境を作らないと中身が無い。 何十年、国際的なレースをやっていても、地元出身のちゃんとしたドライバーがサッパリ出て来ないのはこう言う部分があるね。 早速、なるべくサーキットに近い場所でガレージを探したら数件、物件は出てきた。…
初夏の風物詩の様ですが 、このコロナ禍で予定通り開催されたと言う事で、感慨深いものがあります。実は一度だけ、富士のGTに出た事があります。まだGT選手権だった頃、先日亡くなった土屋春雄氏率いる〝つちやエンジニアリング〟からADVANマッシモスープラで参加しました。2002年5月4日。そう、ちょうど19年前の今日の話しです。 荒聖治選手がルマンに出る関係で、ちょうどこの時期、ルマンテストデーに行く為に、GT選手権の富士戦を欠場。流石にこのGT500クラスだとTOYOTAが納得するドライバーで無くてはならず、F3000経験者からピックアップしたとの事。 後で聞くと、この時、ジェフ・リースを推薦したのは今、まさに闘将として亡き父の後を継いだ土屋武士君からの提案だったとの事。 ある日、帰宅すると縁もゆかりも無い、つちやエンジニアリングから留守電が入っていて、その内容を聞いて慌ててジェフに連絡して、藤沢の土屋エンジニアリングに向かったものです。この時のパートナーは山路慎一君(ジェフの後ろにも少しだけ写っていますね)。 彼もその後、今から7年前ですか…若くして鬼籍に入ってしまいました。生きてるだけで丸儲け。その言葉の意味が少しずつ分かってきた今日この頃です。 写真:半田正樹
昨年、ユーロナスカーで三浦健光選手が所属したDF-1 RACINGから今年度の新しいドライバーのアナウンスが出ました。その中で次のような記述があります。 Kenko Miura and André Castro both were eager to race for the Austrian team DF1 Racing in 2021. As the situation with CoVid-19 in Japan and the United States has not really changed and due to the restrictions and quarantine measures, both have to postpone their ambitions until 2022. If the situation has changed by the end of the season, a guest start might be possible. 要するにチーム残留は希望したのですが、隔離政策の難しさから実際に参加するのは難しいだろう、と言う判断を互いに確認した訳です。ただしかし、シーズン後半にもし参加できる見通しが立ったら、また考えまし…
本当の事を言うとELMS+ルマン24時間レースで、同じG-DRIVE RACINGからオファーを受けていた。しかしELMSは気が進まなかったので、ルマンだけ対応しようぜ!みたいな流れだったが、開幕一週間前に急転直下。 WEC全戦のオファーへと切り替わり、あれよアレよと言う間に参戦が決定。もう出られればコッチのモノ。そう言う訳でLMP2のG-DRIVE RACINGに合流し、取り敢えずの開幕戦、ベルギーはスパ・フランコルシャンをこなしました。 予選5番手、決勝は色々あり10位完走。まぁ、これからでしょう。WECは大事ですが、最大のターゲットはルマン24時間レース。そこに向けて営業活動を強化していきます。
前回の更新ですら一年空けてしまい、更にこの更新はそれから180日以上も空けてしまった。昨年の一年間、モータースポーツに関しては何も仕事をせず、そのまま全ての事をスルーした。マカオGPだけやろうか?と思ったが、中国F4のあまりのレベルの低さに閉口して辞め、とにかく2021年に集中する事にし、早い段階から今年を目掛けて集中的に動いた。 しかしコロナによる移動制限や隔離措置は昨年より厳しくなっており、暮れから年明けまでは多少なりとも楽観的な観測が出来たのだが、その後は以前より重く厳重な規制になり、プロジェクトの取捨選択を求められる羽目となった。 クライアントはやはりプロモーションを主眼に置いている会社なので、B to Bの実行性を考えた時、現場に行けないと言うのは〝いくらなんでも…〟となってしまう。この辺がプロモーションありきのスポンサーを集めていると、マネロンと周囲を信用させる為にやっているケースの違いとなり、我々の場合、現場のフォローなどの足枷が付いてきて正直辛い。 さて、知っている人は知っているが4月8日に事務所を移転した。全くアタマにくる話しではあったが、レジェンドグループの新経営陣は、旧経営陣の犯したミステイクをキチンとリカバリーしてくれた。また約束もあるので、この件に…
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