昨日、motorsports.comに面白い記事が出ていたので、過去の行った業務経験から少しばかり意見を書いてみた。 あれは2012年だったと思うが、全日本F3の海外戦の相談があり、一時的に日本F3協会の仕事を受けた。 記録を探すとやはり2012年だった。 あの当時、フォーミュラニッポンの末期症状。 F3はユーロとほぼ同じレギュレーションでやっていたが、その後に続く新世代レーシングエンジンへの切り替わり等で躓き、マカオGPでの日本勢はかつての勢いが無くなり散々な状況になっていた。 そこで起死回生の一手として海外戦を企画し、カレンダーを彩る策から話が始まった。 そこで当時の情勢から一番やり易い珠海を推薦した。 セパンという手もあったが、当時のGTもそうだがあれは貸切イベントだったので、安いとは言えコースを丸ごと借りなければならない条件の中でやっていた。 可能性としての上海はあったがあそこはとにかく集客が悪い。 当時、フォーミュラニッポンも集客で苦しんでいた時期と相俟って、それなら集客の良い珠海サーキットでどうか?となった。 同サーキットで開催されるパンデルタは当時ビックイベントだった。 珠海市内のガソリンスタンドやコンビニでちょっと買い物をすると入場券がもらえた。 なので観客は満帆。…
毒を吐きます。 正直言うと、このくらいデタラメな選考基準になるとは思っていました。 昨年のマカオGPの時、今年のマカオGPのFRのプロモーター(以下、Xと表記)が色々と動いておりました。彼はその前にアジアンF3をやり、FIAとちょっと揉めてF3の名前を抹消され、その後、日本を取りに来てここもFIAに止められ(童夢が車輌制作を表明していたから)、ちょっと燻っておりました。 因みにTCRのプロモーターであるデビッド・ソネンシャーはXの事を「クラッシャー(破壊屋)」と呼んでおり、アジアのMS関係者は「侵略者」と呼んでおります。 これにまさかマカオの体育局が乗っかるとは思っておりませんでした。なぜなら開催日を含めてマカオ政府は「3」に拘っていたからです。 それはマカオGPの成り立ちにも影響していたー こちらにマカオGPがどの様に始まり、成り立ち、現代へと繋がって言っているか?が詳細に書かれているのでご覧ください。 FIAからの押し付けでF3を嫌がっていたマカオ政府ですが、「安全性」と言う葵の御紋に押し切られる形で(当時の)F3規格を採用し、結果、大成功をしました。 この事も含めて11月の第3週目はマカオGPの日と定められ、「3」にこだわり続けたのです。 (マカオGPの開催日は香港のTV局の…
2020年1月末にマカオがロックダウンされて以来、結局はこの2023年1月までほぼ国全体がロックダウンされた状況になり、とにかく何もかもが止まっていた。 そしてこのコロナの最後は結局、あれだけ気を付けていたのに自分が感染してしまった。大事にはならなかったが、結構、厳しい状態だった。 そして春節。 とりあえずコロナで止まってしまった事業を再開させる為に動いた。 まずはamber loungeから始まり、Wシリーズの中断で話が途中になってしまった件を、新たにF1academyをスタートさせる事になったF2/3のドン、ブルーノ・ミッシェルに引き継ぎをお願いし、話し合いが再開した。 これに合わせて、昨年の今頃に契約を一旦中断した航空会社との契約を復活させようと考えております。 amber loungeは今年、モナコ・シンガポール・ラスベガス・アブダビの計四回の開催との事。残念な事にラスベガスだけはマカオグランプリと重なってしまい、現在ここだけパスをするか、米国にウチの元ドライバーがいるので彼に頼んでそこをカバーしてもらうなど、調整が必要。 もう一点はセオドールレーシングで同僚だったジャックが現在、アレックス・アーボンのパーソナルマネジメントをしている関係で、そこの部分のスポンサーシップの件…
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