昨日、motorsports.comに面白い記事が出ていたので、過去の行った業務経験から少しばかり意見を書いてみた。 あれは2012年だったと思うが、全日本F3の海外戦の相談があり、一時的に日本F3協会の仕事を受けた。 記録を探すとやはり2012年だった。 あの当時、フォーミュラニッポンの末期症状。 F3はユーロとほぼ同じレギュレーションでやっていたが、その後に続く新世代レーシングエンジンへの切り替わり等で躓き、マカオGPでの日本勢はかつての勢いが無くなり散々な状況になっていた。 そこで起死回生の一手として海外戦を企画し、カレンダーを彩る策から話が始まった。 そこで当時の情勢から一番やり易い珠海を推薦した。 セパンという手もあったが、当時のGTもそうだがあれは貸切イベントだったので、安いとは言えコースを丸ごと借りなければならない条件の中でやっていた。 可能性としての上海はあったがあそこはとにかく集客が悪い。 当時、フォーミュラニッポンも集客で苦しんでいた時期と相俟って、それなら集客の良い珠海サーキットでどうか?となった。 同サーキットで開催されるパンデルタは当時ビックイベントだった。 珠海市内のガソリンスタンドやコンビニでちょっと買い物をすると入場券がもらえた。 なので観客は満帆。…
初夏の風物詩の様ですが 、このコロナ禍で予定通り開催されたと言う事で、感慨深いものがあります。実は一度だけ、富士のGTに出た事があります。まだGT選手権だった頃、先日亡くなった土屋春雄氏率いる〝つちやエンジニアリング〟からADVANマッシモスープラで参加しました。2002年5月4日。そう、ちょうど19年前の今日の話しです。 荒聖治選手がルマンに出る関係で、ちょうどこの時期、ルマンテストデーに行く為に、GT選手権の富士戦を欠場。流石にこのGT500クラスだとTOYOTAが納得するドライバーで無くてはならず、F3000経験者からピックアップしたとの事。 後で聞くと、この時、ジェフ・リースを推薦したのは今、まさに闘将として亡き父の後を継いだ土屋武士君からの提案だったとの事。 ある日、帰宅すると縁もゆかりも無い、つちやエンジニアリングから留守電が入っていて、その内容を聞いて慌ててジェフに連絡して、藤沢の土屋エンジニアリングに向かったものです。この時のパートナーは山路慎一君(ジェフの後ろにも少しだけ写っていますね)。 彼もその後、今から7年前ですか…若くして鬼籍に入ってしまいました。生きてるだけで丸儲け。その言葉の意味が少しずつ分かってきた今日この頃です。 写真:半田正樹
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