初夏の風物詩の様ですが 、このコロナ禍で予定通り開催されたと言う事で、感慨深いものがあります。実は一度だけ、富士のGTに出た事があります。まだGT選手権だった頃、先日亡くなった土屋春雄氏率いる〝つちやエンジニアリング〟からADVANマッシモスープラで参加しました。2002年5月4日。そう、ちょうど19年前の今日の話しです。 荒聖治選手がルマンに出る関係で、ちょうどこの時期、ルマンテストデーに行く為に、GT選手権の富士戦を欠場。流石にこのGT500クラスだとTOYOTAが納得するドライバーで無くてはならず、F3000経験者からピックアップしたとの事。 後で聞くと、この時、ジェフ・リースを推薦したのは今、まさに闘将として亡き父の後を継いだ土屋武士君からの提案だったとの事。 ある日、帰宅すると縁もゆかりも無い、つちやエンジニアリングから留守電が入っていて、その内容を聞いて慌ててジェフに連絡して、藤沢の土屋エンジニアリングに向かったものです。この時のパートナーは山路慎一君(ジェフの後ろにも少しだけ写っていますね)。 彼もその後、今から7年前ですか…若くして鬼籍に入ってしまいました。生きてるだけで丸儲け。その言葉の意味が少しずつ分かってきた今日この頃です。 写真:半田正樹
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