ASIA’S MOST EXHILARATING F1® WEEKEND AFTER PARTY DESTINATION 2023 シンガポールグランプリのレース後に開催されるamber lounge アフターパーティーはナイトレース終了後、コースサイドで豪華なホスピタリティを華々しく展開します。ゲストは新しいマネジメントチームのもとで、アンバーラウンジの大胆かつエキサイティング、新しいクリエイティブな方向性とイベントコンセプトの下、このパーティーを享受できます。これらはGPSSのコースサイドパーティーである〝Boudoir Blanc〟と〝Boudoir Noire〟の創設者が指揮を執ります。彼らはニューヨークの有名なナイトスポット〝The Box〟の公式なライセンスを取得し、アジア初のポップアップをシンガポールに招きました。 Club Packages Tables NOIR SUITE (15 – 20 PAX) 専用のVIPテーブルサービスを含むオーダーメイドのホスピタリティパッケージを備えたプライベートスイート。 Please enquire AMBER SUITE (10 PAX) ステージエンターテインメントパフォーマンスを最高の位置で眺められる場所でなおかつDJブー…
第70回記念大会 ポスターデザイン 今年度のマカオグランプリ、第70回の記念大会の概要が発表された。前回の第60回大会に続き、二週連続合計六日間の開催となる。 11月11日(土)-12日(日)で五つのレースを開催。 アジアンFIA F4 大湾区GTカップ TCR アジア チャレンジカップ ロードカーチャレンジカップ 未発表のサポートレース 11月16日(木)-19日(日)は六つのレースを開催。 FIA F3 ワールドカップ GTワールドカップ ギアレースTCRワールドチャンピオンシップファイナル モーターサイクルグランプリ マカオツーリングカーカップ 70周年チャレンジカップ この2ウイークエンドにわたって開催される第70回マカオグランプリ記念大会は総予算2.6億マカオパタカ(約45億円)。 参加する選手は150名以上。 尚、今回からピットガレージ棟を増築し、スペースを拡大する事も併せて発表された。 グランプリのレース以外にも各種イベントを開催し連動させると言う方針を打ち出し、マカオの六大IR(SJM・Sands・Wynn・メルコ・MGM・ギャラクシー)は、それぞれ2,000万マカオパタカ(約3億5千万円)ずつ協賛金を出資する。 大会組織委員会プレスリリース: 澳門年度國際體壇…
今年、四年ぶりにFIA戦となるマカオグランプリ。 当社とマカオのファイブスターホテル、グランドラパ( Artyzen Grand Lapa Macau / 澳門雅辰酒店 )のコラボレーションによるスペシャルパッケージのご案内です。 グランドラパはかつてはマンダリンオリエンタルマカオとして営業していたホテル。現在、マンダリンオリエンタルは別の場所に移転し、現在はリスボアホテルを運営するSJMによってオペレーティングされ、カジノの無い静かなアートホテルとして運営されております。 場所はピットがあるフェリーポート区間から徒歩で六分程度。フェリーポートからエアコン完備の歩道橋で移動できます。 テラスラウンジ ホテル5Fのテラスで終日レース観戦ができます。 11月18日( 土 ) - 19日( 日 ) オールディ・ビュッフェ (ドリンククーポン三枚付) モニターTV付 リザーバーベント(1コーナー)出口からマンダリンベント(眼下)を経て、リスボアコーナーアプローチまで、マカオグランプリが開催されるギア・サーキットのもっとも長い区間を観れるのがこの場所です。 写真を見てお気付きかと思いますが、眼下に旧コントロールタワーがあります。つまり昔はピットが目の前にあった関係から、最初からグラ…
自分を含む調査チームは、夜8時をまわり定刻を一時間ほど遅れて北京を飛び立った上海へと向かう飛行機の機内にいた。 どこのタイミングで聞こうかと、北京での滞在期間中ずっと様子を伺っていたが、飛行機の座席で隣になった事から思い切って聞いてみた。 「なぜ(第三期の)活動を辞めたんですか?」 彼は間髪を入れずに答えた。 「あのタイミングで辞めないと、株主総会を乗り越えられなかったんですよ。」 彼は第三期の中で重責にあった人物で、今回は後々の第四期、つまり第二期マクラーレン・ホンダが発足する前の段階の作業をしていた。 そして光栄な事にそれをお手伝いさせて頂けるチャンスを頂けた。 話しは一旦、一番最初に戻る。 この一連の流れを書こうと思ったのには理由がある。 一つはTwitterの長文のシステムを試してみたかったと言う事。 実はこの文章は以前に書いて貯めていたものだった。しかし特に出す場もないし、それを作ろうとも思っていなかった。しかしどこかで出さないとならないかな?とは思っていた。 もう一つの理由として、産業としての自動車メーカーの立ち位置と、スポーツチームとしての活動をキチンと連動して伝えるメディアが無い事。それを問題提起する事で、昨今のモータースポーツの関係者やファンが叫ぶ「なぜ社会的な…
ー はじめのいっぽ 今回のホンダのF1カムバックについて「不可解」と言うキーワードが散見されるが、それは的を得ていない。 むしろやっと正常に戻った、或いは本来の姿になったと言って然るべきではないか?と思う。 この部分の理解を得るには、まず昨今廃止された青山本社にあったモータースポーツ部が出来た経緯を知る必要がある。 しかしそのモータースポーツ部、通称 「アオヤマ」 を知るには、さらにその前の部分へ遡り、第二期F1、すなわちセナ・プロが席巻したあの時代のルーツを知らなければ理解ができない。 だがそれを論じる前に、そもそもホンダのF1とはどこがやっていたのか?と言う観点をまず確認しなければならない。 第二期F1のルーツはどこにあるのか? 1978年に開発に着手し1980年に登場したホンダF2に、第二期F1に繋がるその活動のルーツを見る事ができる。 当時研究所の役員だった川本氏と旧知の仲だったラルト・カーズの代表 ロン・トーラナックとの関係からラルト・ホンダが誕生し、のちに当時の欧州F2を席巻したのは有名な話し。 そこから更に勢力を拡大し、マーチ・エンジニアリングにいたジョン・ウィッカムらをヘッドハンティングしスピリット・レーシングを設立。 その後、スピリットをF1へとコンバー…
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