British F3とは? その1


 昨年までのFIA-F3車輌で数々の伝説的な選手を生み出した伝統の英国F3が開催されていたのは2014年まで。最後の年は参加者がおらず、大量の中国人ドライバーを乗らせて延命したと言うひどい年となった。実際はその前の2012年頃から“衰退”は顕著だった。
 衰退した理由はFIAが決めた『ヨーロッパには強いF3のチャンピオンシップが一つあれば良い』と言うテーマに沿った事。
 そこで選ばれたユーロF3(ベースはドイツF3)が昨年末、結果的にハシゴを外され、シーズン開幕六週間前に消滅と言う屈辱的な終わり方をした事はまさに“やった事はやり返えされる”の典型的なケースとなった。
 この苦い経験から英国の伝統的なクラブであるBRDC(BRITISH RACING DRIVERS CLUB)とプロモーターMSAは、FIAに左右されないジュニアシングルシーターを考えた。
 フォーミュラ・ルノーでさえ、その繁栄ぶりをFIAに狙われていた背景もあり、英国はルノー・スポールに範を学びながらも、フォーミュラ・ルノーを採択せず、独自のフォーミュラカーを開発した。
それがMSV-F4だった。
 このマシンはオリジナルのチューブラフレームで、フォーミュラ・ルノー2.0の足回りを使用。日本でいうとスーパーFJの進化版の様なクルマだったが、かつて英国にはバンデーメンと言う伝説のコンストラクターがあり、そのDNAは英国モータースポーツ界の随所に生き付いている。
 結果的にこのMSV-F4と言うクルマは生まれながらにして素晴らしい素性を持ち、安価で速くスタイリッシュとおよそジュニアフォーミュラに求められる全てを兼ね備えていた。


 そしてフォーミュラ・ルノー2.0のパーツを多用している事から、英国ルノー・シリーズからの移行もスムーズに行われ、レースはBRDC F4選手権として2013年から始まり初年度から大成功を納めた。
 因みに2013年のチャンピオンはのちにユーロF3で活躍したジェイク・ヒュース、2014年はジョージ・ラッセル、2015年ウィル・パーマーがそれぞれタイトルを獲得した事から、どう言うシリーズか想像できるでしょ?


 ただこの頃、FIAが提唱したカーボンモノコックのエントリーフォーミュラであるFIA-F4構想に世界中が乘ってしまい、それでないともうダメだみたいな空気が蔓延していた。自分たちもあるコンストラクターから制作の協力を求められたり、参加を要請されたがFIA-F4には最初から懐疑的だった為、距離を置いていた。
 中には“世界統一戦が開催される!”と騒いだ発達障害者もでる始末で、レギュレーションを見たら性能調整されている訳ではなく『各国一車種よ!その範囲の中でエンジンも自由よ!』と書いてあるのに、どうやって世界統一戦やるよ?と訝ったが、世の中にはそう言う壮大な妄想がデカければデカイだけ信じる層と言うのは一定数必ずいる。オウム事件の根幹もこれと同じ病理である。
 この頃、自分たちはその発達障害者に標的にされていたが『三年或いは五年経ったら分かるよ』と言うのが自分の答えだった。少なくともあれだけF3と機械的構造が違うと育つものも育たないな、と言うのが自分の初見だった。
 このジュニアフォーミュラのカーボン化の流れで生まれたばかりのMSV-F4は、再度大きく舵を切り直す。チューブラフレームを取り止めてカーボンモノコックへと変更。但し足回りは最新のルノー系を採択。
が、そこで二者択一を迫られた。
  • フォーミュラ・ルノー系か?
  • FIA-F4の問題点を克服したアップデートVer.か?
 ここで英国はFIA-F4の問題点を全て曝け出すかの様な行動、それはフランス仕切りのFIA-F4路線についてのアンチテーゼとも言える答えを出した。
 デフ、空力、F3を乗る為に何が必要か?と言う事を突き詰めて考えてテクニカルレギュレーションを練り上げた。その結果出来たのが、現在のBRDC British F3のマシン、TATUUS-Cosworth MSV F3-016 (FA-016)だった。
ここで次の問題に出会す。
これはF4か?それともナニ~(・・?))
 このTATUUS-Cosworth MSV F3-016は出てしばらく、名無しのゴンベイであった。そして2016年の1月、ヨーロッパのレーシングカー最大の見本市 英国オートスポーツショーでは新型のF4としてアナウンスされた。それもBritish F4として。
 が、その後、FIAとぶつかり再度、MSVは沈黙する。そして開幕戦の前に衝撃のアナウンスをした。
『このクルマは“British F3” としてスタートします。』
 反旗を翻した英国はここでFIAに従う事を辞めて、完全独自路線を歩む事にした。皆がRegional F3としてこのクルマを参考にし始める2年前の出来事だった。
 
以下、いつになるかわからない“その2”へと続く