マカオグランプリの前週、恒例となったマカオグランプリキックオフイベントが盛大に開催された。これにはマカオの自動車連盟、ASNであるAAMCを始め、FIA、FIMに主催者のマカオ政府体育局、旅遊局、スポンサーの六大IRの代表など、グランプリのオープニングを飾るに相応しい面々で、華やかに開催された。 好天に恵まれた11月8日の土曜日。 先週に引き続き、マカオの中心部、塔石広場で開催されたマカオGPキックオフイベント。 開会宣言から始まり、会場にはバイクのレースであるMacau Motorcycle Grand Prix – 57th Editionに参加するライダーとそのバイクをはじめ、FIA Regional World Cupのマシン、GT3 World Cupのマシンと所狭しと並び、ファンを喜ばせた。 毎年の事ながら、GT3やフォーミュラカーが街中に展示され、地元のファミリーがそれを無料で楽しめるこのイベント。 こう言うところにマカオの懐の深さと伝統を感じる。 土日にわたって開催されるこのイベントを持ってマカオGPの前節のイベントは全て終了し、木曜日からいよいよグランプリの本戦に入る。 日本でもJ-Sportsがライブで放送するとの事で、このアジアで最も歴史のあるモータースポー…
第72回マカオグランプリは、今年の11月13日から16日まで開催。それに先立って一般の方や観光客、小さな子供たちに今年のイベントの熱気を一足早く体験してもらう為、11月1日と2日の2日間、マカオの中心部に位置する塔石広場にて「第72回マカオグランプリ ファミリーカーニバル」が開催されました。 このイベントはマカオグランプリの雰囲気や意義を家族で理解して体験して頂くためにグランプリの三週間前に開催されるイベントで、今年も11月1日から2日の二日間、大々的に開催されました。 グランプリはどんな構成で運営されているのか? グランプリに関わる仕事はそんな内容の仕事があるのか? など、モータースポーツに関わる業種体験を出来るコーナーや、小さな足漕ぎ自動車での競争、シミュレーターでのレースなど、家族連れの小さなお子様から大人までが楽しめるイベントとして、マカオ市民のみならず、観光客の方も楽しんでいました。 この後、11月8日〜9日にはマカオグランプリ・キックオフイベント、そして11月13日から16日にかけていよいよ第72回マカオグランプリが開催されます。
今年も結局マカオグランプリの準備が始まるわけで、台風で街が水没しようが、どこかで戦争が起きようが、いつもと同じく、いつもと同じ日々を過ごしております。 マカオ政府のVIPホスピのクオリティの低下は年々目に見えるほど凄まじいレベルで下げるクセに、今年また値上げするとか言い出し、担当者(家内の幼なじみの姉)は 「金持ちのイベントなんだから、いくら上げても売れるんだ!」 と本当に目の前で仰りまして、心底呆れ返りました。 その直後、そのセクションの上席の体育局長が更迭されるニュースを見て 「ほれ見た事か!ザマァ」 と思ったのは極めて自然な心からの叫びでした。 今年からVIPラウンジはリスボアコーナー上空界隈でやる予定でした。 この最近、すっかりスポンサーの企画室みたくなった当社ですが、これには流石にスポンサーも“Good Idea!”となり、担当部署へ連絡。 ここでちょっと説明が必要なのですが、当チームのスポンサーはグループを牽引する大黒柱なのですが、実は子会社なのです。旧リスボアをやっている方が親会社。 つまり重度の腸捻転レベルで捻れています。 なのでいくら大きいとは言え、やはり相手は親会社ですからお伺いを立てないとなりません。そこで大ボス(親会社のオーナー)を通して打診したと…
昨日、motorsports.comに面白い記事が出ていたので、過去の行った業務経験から少しばかり意見を書いてみた。 あれは2012年だったと思うが、全日本F3の海外戦の相談があり、一時的に日本F3協会の仕事を受けた。 記録を探すとやはり2012年だった。 あの当時、フォーミュラニッポンの末期症状。 F3はユーロとほぼ同じレギュレーションでやっていたが、その後に続く新世代レーシングエンジンへの切り替わり等で躓き、マカオGPでの日本勢はかつての勢いが無くなり散々な状況になっていた。 そこで起死回生の一手として海外戦を企画し、カレンダーを彩る策から話が始まった。 そこで当時の情勢から一番やり易い珠海を推薦した。 セパンという手もあったが、当時のGTもそうだがあれは貸切イベントだったので、安いとは言えコースを丸ごと借りなければならない条件の中でやっていた。 可能性としての上海はあったがあそこはとにかく集客が悪い。 当時、フォーミュラニッポンも集客で苦しんでいた時期と相俟って、それなら集客の良い珠海サーキットでどうか?となった。 同サーキットで開催されるパンデルタは当時ビックイベントだった。 珠海市内のガソリンスタンドやコンビニでちょっと買い物をすると入場券がもらえた。 なので観客は満帆。…
それまでのFIA F3から、突然のフォーミュラリージョナルへの変更で戸惑うばかりだった第71回マカオグランプリ。 そのプロモーターがダビデ・ディ・ゴビィ率いるTOP SPEEDが仕切るとなれば、それはもうかつてのフォーミュラ・マスターズの様に“実りの無いレース”になる事は明らかだった。 案の定、参加資格からして不明瞭でF4に出てやっと走ってる様なドライバーからFIA F3レベルのドライバーまで千差万別。荒れるレースというより、“まともなレースにならない”事はエントリー表からも明らかだった。 先に結論を言うと、連続周回で三周以上回れず、フリープラクティスから予選、予選レースに決勝を通じて常にこのシュチュエーションは変わらず、草レース以下の展開に終始した。 終わってみればマクラーレン育成のウゴが勝ち、ポディウムを懸けて我がチーム、セオドールから出走したアレックス・ダンが最後の最後に見せ場を作ったが漢気溢れる自爆で終わった以外、これと言った見せ場がないレースだっだ。 アレックス・ダン、ディノ・ベガノビック、フレディ・スレーターと、明日にでもF1に手が届きそうな、完全格上ドライバーのラインナップで揃えたセオドールプレマレーシングだったが、フリープラクティスから雨に祟られた事も影響したか…
毒を吐きます。 正直言うと、このくらいデタラメな選考基準になるとは思っていました。 昨年のマカオGPの時、今年のマカオGPのFRのプロモーター(以下、Xと表記)が色々と動いておりました。彼はその前にアジアンF3をやり、FIAとちょっと揉めてF3の名前を抹消され、その後、日本を取りに来てここもFIAに止められ(童夢が車輌制作を表明していたから)、ちょっと燻っておりました。 因みにTCRのプロモーターであるデビッド・ソネンシャーはXの事を「クラッシャー(破壊屋)」と呼んでおり、アジアのMS関係者は「侵略者」と呼んでおります。 これにまさかマカオの体育局が乗っかるとは思っておりませんでした。なぜなら開催日を含めてマカオ政府は「3」に拘っていたからです。 それはマカオGPの成り立ちにも影響していたー こちらにマカオGPがどの様に始まり、成り立ち、現代へと繋がって言っているか?が詳細に書かれているのでご覧ください。 FIAからの押し付けでF3を嫌がっていたマカオ政府ですが、「安全性」と言う葵の御紋に押し切られる形で(当時の)F3規格を採用し、結果、大成功をしました。 この事も含めて11月の第3週目はマカオGPの日と定められ、「3」にこだわり続けたのです。 (マカオGPの開催日は香港のTV局の…
別会社でギャラリーを請け負って以来、状況が次々に変わって行き、大変な仕事量になってしまった。 が、結果的に政府中枢とダイレクトに繋がっており、トータルで見た時には当社にはマイナスは無い。 むしろ欲しいカードは手に入っている。失っているのはこちらの時間だけなので、それはまぁ良いとしましょう。 政府のマカオGPに関するプロモーション予算があるとの事で、これらを活用し日本でどうやってプロモーションするか?と言う流れを作る事になった。 世界的な旅行関連のシンジゲートがあり、ことマカオ支部に関しては3月12日にランチミーティングがあるとの事で、マカオ政府前旅遊局長だったアントネス氏が招待を出してくれた。会社をはじめ個人データも登録してご招待を受けた。 このランチディナーには現職の旅遊局長・副局長(最近の当社の担当者)、各IRのトップと錚々たるメンツが揃うらしく、一言で言ってイソイソと「お邪魔します」と言う感じ。 *マリア局長、アントネス前局長がSJM セオドールレーシングを紹介している動画です さて水面下で当社が出した案は「東京駅でマカオのアピールするのも良いけど、サーキットでも出来まっせ」と言うひと言から始まった。そこで「自分達が参加するレースに乗っかってやりませんか?」が最初…
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